備後府中人 BINGO FUCHU PEOPLE

2018.09.10

『太鼓ユニット 我龍』地域に根差した音楽づくり 

地元を想う気持ちは誰にでもあると思うんです 。

日本の伝統楽器である和太鼓と、欧米で生まれたドラムを融合した音楽を創造する太鼓ユニット、我龍(がりゅう)。府中に根差したアーティスト、竹内孝志さんに地元への思いを聞いた。

我龍をはじめたきっかけは?

「太鼓のプロになりたい」。

 

という思いがあった高校三年生にさかのぼります。進路を考えていた時に、全国へ旅をしたんです。ですが、旅を通して色んな人たちと出会い、プロへの思いはより強くなりました。それから様々なグループに参加し、和太鼓の演奏に打ち込みました。

 

大学を卒業した後、実家の倉庫を練習場にし、和太鼓を作ったり、自分でステージ衣装をデザインして作ったりしましたね。

一年間を、太鼓グループとして活動すための準備期間にしたんです。周りからは、働かずに太鼓を叩いてると心配されてました。親の知り合いが「大丈夫か」と家に来てたくらい当時は理解されない状態でしたね。

 

でも、先輩のステージで見た袴を、見様見真似で作ってみたり。グループでの音楽活動をしたいと考えていたんで、メンバーの分の袴を作るんですが、上手くなるもんですね。自分たちで太鼓の皮を張り、最終的に他のグループの太鼓を張ってくれと頼まれるようになりました。(笑)

 

準備期間中に、様々な音楽を勉強をしたり、全国で出会った音楽仲間と、府中市諸毛町で共同生活を送りながら、音楽の創作活動を始めます。全国から通ってくる人も含めて10人くらいで。太鼓打ち「鼓雷刄」(こらいじん)というグループを結成し、鼓雷刄で、さらに太鼓の演奏、ジャンルを超えた音楽を学んでいきました。ですが、しばらくしてグループは解散。

そんな時、尾道のライブハウスで、今の「我龍」のメンバーでのしゅんさん(香本俊介)と、たまたま出会って。音楽についての話しをしたりしたんですが

 

「彼が、めちゃくちゃ笑顔でドラムを叩くんですよ」。

 

僕は、どちらかというと、真剣な顔をして太鼓を叩いていて。それが印象的でしたね。

お互い何か今度一緒に叩いてみる?みたいになって、府中の倉庫で一日演奏したんです。その時にできた2つのデモが、今の我龍の曲になってたりします。しばらくして、某オープニングイベントで、太鼓を叩いてくれって依頼があったんです。それで、団体名とか書く欄があって、そこで辞書とかで調べながら、決めた名前が「我龍」です。そこから、当時大学生だった弟(竹内裕樹)をサポートメンバーに加え、我龍のスタートです。

苦い経験などありますか?

それが、我龍の最初のステージが忘れられないですね。3000人位お客さんがいたんですけど、一斉にお店に入ると危ないんで、50人ずつくらいで少しずつ入るようになったんですよ。つまり当日に演奏時間延ばしてねって。20分の演奏予定でいたら、終わってみれば1時間の演奏に…。

同じ曲を2回目やったり、ソロパート伸ばしてみたり。なんとか終えることができたんですが、すごく落ち込みましたねぇあれは。13年経ちますが、そこから再依頼ないですもん(笑)

 

それと、「我龍」を結成した最初の2,3年間は「しっくりこない」感じでした。何かお互いの良さとか魅力を出し切れていないというか、まだまだ我龍は、子どもだって感じていて。最初のアルバム「GARYU」のジャケットは、子どもが太鼓を叩いている様で表現しています。僕は、ドラムのことは知らなかったですし、しゅんさんからすれば和太鼓のことは分からなかったでしょうし。お互いのこともまだまだ知らなかったと思います。

それで、よく一緒に旅をしました。サポートメンバーから意見をもらったり、地元、諸毛町の環境の中で楽曲を考えたり。お互いのことが分かってきて、しっくりこない状態から抜け出しました。

その後、制作したアルバムのタイトルは「我リュイズム」。

これからの目標はありますか?

「東京オリンピックでの出演です」。

オリンピックで、海外に府中市、我龍を発信したいですね。

地元でのコンサートを開催されているのは、どんな想いでされていますか?

「地元を想う気持ちはやっぱり、誰にでもあるんじゃないですか」。

 

自分ができる形で、地域が残るようにしていきたいんです。府中市の名前や諸毛町を世界に発信する。また、音楽で出会った府中を知ってもらった人たちと、府中の人を繋げていくことができたら良いなと思います。地元は、どちらかと言うと、使わなくなった畑や田んぼには、木を植えて自然に返していくんです。つまり諸毛町を人が少なくなっていけば、山に戻していこうって感じなんです。でも、僕は、次の世代にこの地域を残していきたいと思っていますし、これからも我龍は、地元の諸毛町に根差した活動をしていきたいんです。

 

また、諸毛のベジタブルコンサートは、地元の祭りに全国から様々なアーティストが参加してくれています。結構な人数ですが、ギャラの総額は20万なんですよ。少額の予算でも、あれだけのコンサートができるってモデルになればと思っています。

 

「皆でつくりあげれば、できないことは、無い」(笑)

 

そう感じたのは、上海万博に参加した時のことです。スタッフさんなんかのほとんどが、町内会のおじさんみたいな人たちでした。プロじゃなくても、地元の諸毛町でもできるなって。

 

他にも、個人的にやっているんですが、ニューヨークの学校で、太鼓制作のボランティアをしたりもしています。地元の子供に太鼓教室もしています。府中市からの依頼でコンサートの出演もやりますよ。全部同じ想いです。

 

様々なイベントや演奏を通して、「敬う」ということも学びました。太鼓の上手い人には敬語でしゃべるのに、小さい時、太鼓を習っていたおじちゃんには、タメ口。太鼓の経験で言えば同じ年数なのに、これじゃいけないなと気を付けるようになりました。我龍のサポートメンバーは、ライバルであり仲間です。お互いを尊重し合わないとステージに立つことはできないですね。

 

 

地元、府中市諸毛町という里山に拠点を持つ竹内さん。地元では彼を「誇り」と思っている人も少なくはない。

竹内 孝志

幼少より、地元”諸田八幡神社”に古くから伝わる太鼓踊りの音色に親しみ、舞台芸能としての和太鼓に目覚める。様々なグループで和太鼓演奏に情熱を傾け、2004年22歳で独自の世界を表現したいという強い思いから独立。太鼓打ち竹内孝志として活動を始める。篠笛、尺広広島県府中市諸毛町出身。尺八、琴、三味線などの和楽器から、ドラム、ギター、DJ、オペラ、よさこい踊り、など様々なジャンルの音楽とコラボレーション師、和太鼓の新たな可能性に挑戦を続ける。2005年より、太鼓ユニット我龍–garyu–を主催し、生まれ育った豊かな山々の自然を表現した演目を多数製作。無駄のない流麗な所作から繰り出される音色は、和太鼓の枠組みにとらわれない情感豊かな響きを持つ。

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    『オフィス我龍』 代表 竹内孝志
    住所:〒722-0431広島県府中市諸毛町1431
    HP: https://garyu.bz/